岡本太郎は1911年2月26日生まれだそうで、その生誕100年にあたる昨日からドラマ
『TAROの塔』(NHK)が始まった。松尾スズキという俳優は、岡本さんにあまりにも仕草や語り方がよく似ているので呆気にとられた。彼の語りや物事を見つめるやり方、リアクションは岡本太郎そのものだ。
1970年の大阪万国博覧会プロデューサーに就任した岡本太郎は記者会見で、「人類の進歩と調和」という博覧会テーマに異論を唱える。まさに彼ならではの真骨頂のせりふがここにある。
「はじめに、私はこの万博のテーマに反対である。人類の進歩と調和なんてクソ食らえだ。人類は進歩なんかしていない。確かに宇宙へいく科学技術は発達したが、肝心の宇宙を感じる精神が失われているじゃないか。それに調和といったって、日本の常識でいえばお互いが譲り合うということだ。少しづつ自分を殺して譲り合うことで馴れ合うだけの調和なんて卑しい。」
そして万博のテーマが危険だからプロデューサを引き受けたと言い放つ。
「人間は生きる瞬間瞬間で自分の進むべき道を選ぶ。そのとき私はいつだってまずいと判断する方、危険なほうにかけることにしている。極端な言い方をすれば、己を滅びに導く、というより、自分を死に直面させる方向、黒い道を選ぶということだ。無難な道を選ぶくらいなら、私は、生きる死を選ぶ。それが私の生き方の筋だ。」
1970年の万博。僕にとってもその思い出は半端ではない。千葉県に住んでいた小学生の僕は、親に連れられ2度も見学しにいっている。2度とも遠路はるばる車で訪れている。親もたいそうな気合の入り具合だった。その混雑振りは凄かった。僕ら一家は、行きたいと思っていたパビリオンに入ることはまずできず、気短な父親らによって、たとえば「フジパンロボット館」とか「自動車館」、「ブリティッシュコロムビア館」など、若干人気の低いパビリオンを巡っていたが、それでも1時間待ちはざらだった。遠目で見る「アメリカ館」はうらやましかった。
岡本太郎が、この博覧会にかけた想いなど何も知らなかった僕。その軌跡を知り記憶から遠ざかりつつある僕の1960年代を取り戻すためにも、このドラマは大切だ。