海老坂武さんが、新聞のコラムでこの書のこと、そしてこの著者のことを記していなければ、手に取ることはなかった。『森有正先生のこと』(栃折久美子、筑摩書房)。
このうつくしい背表紙は、著者である装丁家の栃折さんによる染色画であり、その青と沈殿していく勾玉が輝くような絵柄は、青色である必然があり、そしてそれは底知れぬ想いの深さ故のような気がする。
この書は、愛した人への想いの軌跡を辿りつくした日記の昇華でもあり、完全なる恋愛小説のようでもある。しかしながらそこには、森さんと栃折さんの心の間の細かな事象には、まったく触れられていないし、ましてや、手と手を触れ合ったのは空港での挨拶のシーンぐらいしかかかれていない。
しかし僕らは想い推る。そこに潜む、突き動かされる土塊のように重いちからを。精神的な、そして私的な想いの深さは、きっと密接な繋がりを持っていたであろうことを。
脇目もふれずに一気に読了し、ふーっと、深い吐息をつく。そして、その息のなかには、自然なるままの浄化されたなにかがあることに気づく。愛の純化、ということなのだろうか。
森有正さんと栃折さんの出会いは、55歳と38歳の頃だったそうだ。17歳の差だ。そういう差は何の障壁も持たないことを知り、また、真摯な二人の、そしてそれぞれが周囲に責任を持っている二人の心は、如かして、それがゆえに焦燥と限りない不安とに満ちていたであろうと、いまこれを読み終えて、感慨する。
本の帯に、いみじくも、森さんが栃折さんに出した手紙からの言葉が記されている。
「・・・我々は時の中をうしろ向きにしか進めないのです。(ヴァレリーが言ったように)。・・・ただ過去だけが私どものあかしとして眼前に展開しているのです。・・・」
栃折さんも、その出会いのころ、その気持ちの昂ぶりを抑えきれずに、「私は今年念願かなってヨーロッパ旅行に出かけます。一ヵ月後にはサンジャック街とサンジェルマン通りとの交差点の角のキャフェに座って、森先生を考えているでしょう」、と人への手紙に締めくくっている。
ああ、あの通りの角だ。