いま開催されているゴッホ展で、
友人は、蟹が裏返しになった絵に感銘したと言っていた。後ろ向きざまに種をまく人や屈んだ姿や、ねじった体位の美しさに魅せられた画家からすれば、蟹に内在する本質は、まさにその裏側にあるグロテスクさと猥雑さにある、と見抜いたのだろうか。その裏に息を殺しながら内在する秘密や企み。潜む陰謀のようにねじれた心と生きざま。
自分の生きる意味を求めながら20歳台の半ばに画家をこころざし、ミレーの一連の「種まく人」を見習いながら、来る日も来る日も写実を練習した。印象派からのエネルギーももらいつつ、ようやっと画壇に認められ始める。しかしやがて、自身の目に見える景色や人、物事の光と影に幻惑されていく。ゴーギャンとの短い蜜月は破綻する。
療養院での抑圧はさらに、自分を追い詰め、外界を見る目には、鋭敏な光と音が交錯するようになる。そしてわずか37歳で自らの生を絶つ。その短くも熱い湧き出る才能と心境を推し量るだけで、胸の奥が重い。
かつて一度、オランダの
クレーラー・ミュラー美術館を訪れたことがある。深い緑に囲まれた場所に位置するこの館で、屋外の彫刻・彫像群に見入って感銘を受けたものの、ゴッホの記憶がとんとない。しかし今回の展覧会は、そのかなりの点数がここから来ているようだ
(同館には272点のゴッホが有ると分かった)。
ああ、ここを再訪したい。ゴッホが生を受けたこの国の精神の粋を、きちんと浴び、知り摂りたい。