三島の初期の小説を、出張帰りに読了した。彼のことが好きな友人は、劇画的エンタテインメント小説だと言う。
時は1952年。敗戦後の占領下から明けて間もなく、三島が外遊から帰ってすぐに書いたもの。
「勝った時の気持って、空っぽなもんですな。負けた時のほうが元気がでます」柔道家、栗原正は、パリの大会での凱旋にこうも言わせる余裕がでている。
帰国の途中に、主人公の美子に出会う。蝶よ花よのもてぶりの、この洋装店の女オウナー(これまた洋行帰りで、パトロンが居る)に、心ときめかせ、いろいろな事件が起きる。三角関係である。
しかし、それにしても、太宰が『桜桃』を書いて間もなく亡くなったのが1948年。その余韻も冷めやらぬ数年のちに、世の中はこうも、変わってしまった。
三島は、そういう時代が無かったかのように、そして自身の苦しく悶えたときをもが無かったかのように、徹底的に娯楽する。源氏鶏太の小説と見紛うかのように。
価値観の変革が幾度も起き、三島の世界観もさらに転換していく狭間にある、束の間の安穏な時期なのだろうか。
ソレトモ、アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。