抒情のバッハ・・・シフによる『インヴェンションとシンフォニア』
二声のインヴェンションと、三声のシンフォニア。部分部分は慣れ親しんだ曲が散りばめられているものの、全体を通しできちんと聴いたことがなかった。これは、J.S.バッハが、教会オルガニストとしての仕事を解き放たれ、ケーテン宮廷楽長となり、宮廷や家のなかで親しめる楽器、クラヴィーアに触発されて創りだしていった数々の曲のひとつだ。1723年(齢38歳)の頃の作品。
この楽器の学習者に対して、二声、三声という順番に弾きこんでいくことで、主題の展開のしかたから、旋律を歌う奏法を身につけ、作曲技法も習得できように作った曲だという。しかし、この曲集、練習曲だと信じることができない。ショパンやドビュッシーのエチュードは、音の革新への試みとして知られているものの、バッハのこの曲集もやはり、そうだとしか思えない。
このCDは、アンドラーシュ・シフが初来日した1977年に日本で録音されたもの(ライヴではないと思われる)だそうだが、物憂げなしぐさ(写真では、彼は片手か両手を頬に当てて、こちらに憂いのある眼差しを送っているものがほとんどだ)の彼の指先から、この抒情的なバッハが生み出されてくるのは、さもありなんと、思ってしまう。とにかく抒情(ロマンチックという表現ではなく)に溢れる演奏なのだ。
彼の経歴を見ていたら、バイオリニストの塩川悠子と結婚されていることを知った。優しげな彼の眼差しは、演奏を聴けばそれだけでなく、心からであることがわかるわけで、そんな二人の関係をちょっと想像するだけで、なんだかほほえましい(というか、いや、羨ましい)。
シフを好む気持ちが、増していく。
付記:バッハは、このほかにもクラヴィーア練習曲集(全4巻)を残しているが、そのどれもが、芸術の高み極みに至っている。第1巻「パルティータ」BWV825‐BWV830、第2巻「フランス風序曲」BWV831及び「イタリア協奏曲」BWV971、第3巻「前奏曲とフーガ変ホ長調」BWV552、コラール編曲BWV669‐689及び「デュエット」BWV802‐805、第4巻「ゴルトベルク変奏曲」BWV988)。
インヴェンション 第1番~第15番 (BWV772a-786)
シンフォニア 第1番~第15番 (BWV787-801)
録音:1977年3月21日 石橋メモリアルホール