「ふらんすに行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。」
・・・萩原朔太郎のこういう詩があった。(「愛隣詩編」から、”旅上”)
サルトルとか、トーマス・マンとか、辻邦生とかに憧れて、また、ひがな触発をしあっていた友たちの影響を受けて、なんとか金を工面し、”せつにふらんすに行きたし”、と欧州に足を踏み入れたのは、大学を卒業しようとする年の冬だった。もう30年近く前の話になる。
社会に身を転じる前に、ここで一度いかなくては、その息吹を肌で感じておかなくては、そうしないと社会に入ると、もう行くことはないのではないか?・・・そういう焦りもあったように思うし、足を踏み入れた友人と共通の感性レベル・精神レベルにならなければ、という、焦りもあった。ここでいっちょう格好をつけとかねば、という変な気負いもあった。
ソウル→アンカレッジ経由で、初めてパリに足を踏み入れたときの、あの街の空気のちがいの驚きは、いまも記憶に鮮やかに残っている。ちょっと湿った乾きなのだ。匂いが生きている、という感じだった。街路という街路、石畳、川、寺院、美術館、本屋、レストラン。すべてに独特の匂いがある。古くからしみついた人々の熱意と汗と息吹がふかくしみついている、という感じだった。
人の体臭からしても、かいだことのないような、なんともきつい、息苦しくなるようなものだった。男性はムスクというのだろうか、一種独特の、けもののような匂いがした。猫とか犬のような匂いもした。”じゃこう”という匂いなのだろうか?風呂に入っていないからなのか?
地下鉄に降り立ち、すぐに鼻をついたのは、クレゾールと小便が混じったような匂い。驚きだった。いまだもって、じわじわと湧き出てくるような感覚にある。
あの鮮やかな驚きから時が経た。なぜか欧州での仕事もときどき、ぽつぽつと入ることになり、社会人になっても技術者でも、この空気と匂いに触れることができることになった。しあわせ、というべきなのだろう。
欧州の街の匂い・・・・。これを文章で説明することには限界がある。なにせ、かいだことがないたぐいのものだったから。いまもその欧州の街に居るが、この匂いをどのように言い表すべきか、戸惑う。
この匂いを体の中に取り込んで、日本で開放するような装置を開発することができれば、”ああ、そういう匂いや香りなのだねえ”とわかってもらえることができるかもしれない。それでも、やはり、石畳やら、枯れた木々やら、カフェの木の机やら、そういったものが伴っていないと、わかりにくいかもしれない。
それだけ異質なもの。それが欧州の街の匂いだ。名残惜しくこの空気を味わっておかねば。まもなく帰国の途につく。