吉田秀和さんの本、「之を楽しむ者に如かず」に紹介されていたスヴャトスラフ・リヒテルのドキュメンタリーDVDをようやく観終えた。
実は、ひと月ほど前に購ってあって、はじめ軽い気持ちでみはめたのだが、テオ・アンゲロプロスの映画「旅芸人の記録」のような感覚のドキュメンタリーで、あら、これはきちんと観ないと分からなくなる、と仕切りなおしていた。
このあいだ観た
アルゲリッチの「音楽夜話」は、彼女のパーソナリティがとてもよく分かるものだったが、こちらは、さらにさらにそうで、リヒテルの出自から家族のこと、歴史の渦、ロシアの体制、国外演奏の禁止、妻の証言、などなど、それはそれは重い。そして、おっそろしくおっそろしく長い。しかし、とてもとても面白い。
まず出だしがかっこよい。何せ、シューベルトのピアノソナタ21番から始まるのである。
それが終わるころ、笠智衆?かと思うような出で立ちで、画面にリヒテルが登場する。しぐさや表情もそういう感じなのだ。彼の語りは、詳細につけている日記ノートを基にしている。語りが進むにつれ、この人の音楽にたいしての想いがだんだんわかってくる。そして、その彼の悲哀の気持ちも分かってくる。
映像のなかには、32もの演奏映像シーン(曲の数もほぼ同じ)が含まれている。これを観るだけでも驚愕する。すごい指使いに乗って思考の塊が伝わってくる。
リヒテルとはいったい何者なのか?グレン・グールドがリヒテルを評しているシーン、が出てくる。彼のことばがリヒテルについての全てを語っている。(このグールドの喋りがまたまた、超カッコよい。映画俳優のようで、これだけでもファンになってしまう人がいるのではないだろうか。)
「演奏家は2種類に分類できると思う。楽器にこだわる者とそうでない者だ。前者の演奏家たちは、自分と楽器の関係を前面に押し出してそこに注目させようとする。一方後者は、技巧そのものより自己と楽曲の運命的な絆を重視し、聴衆を幻想世界に巻き込んでいく。重要なのは演奏ではなく音楽そのもの。現代で後者のもっとも優れた例がリヒテルだ。」
「リヒテルの演奏は、聴衆と作曲家とを彼の強烈な個性でつなぎ、つまりある種の導管(conduit)であり、作品の新たな面を発見させてくれる。これはあの曲か、と思うくらいにまったく異なるように。」
グールドは、リヒテルの演奏に初めて接したのは、リヒテルがグールドの演奏に接したのとおなじ、1957年だった、とも言っている。1曲目はシューベルトのソナタ変ロ長調。そこでグールドは、しばらくして恍惚状態に陥った。共存しないはずの特性が融合するのを聴いた。そして気づいた。現代が生んだ最大で最強の音楽伝達者の存在を、としている。
この曲が、このDVDの最初と最後に挿入されているのはこれが布石になっている、と知る。
ああ、アルゲリッチにつづき、リヒテル熱があがりそうである。