とってもかわいげな少女バイオリニストが誕生したなあ、と思っていたのが30年ほど前。カラヤンにひいきにされ、もてはやされているころは、なんだか世の中に迎合するような気がし、この人の演奏を聴こうとはしなかった。
ところが、先日CDショップで、この白黒写真のジャケットをみたとたん、ぞくぞくっとしたものが瞼の奥をよぎり、曲目も確かめないまま、思わず購入してしまった。色香と才知の融合。かっこいい。解説書にはカラー版ポートレートも入っていてこれもよい。
さて、この人の弦の音色。非常に潤いがある。濃い。冬瓜(とうがん)のあんかけ、のような感じ。蜂蜜のようなとろみもあるが、甘くはない。だから、あんかけ。非常に積み重なった波長が、単純だが深い味わいをもたらしている。指使い、弓使い、この絶妙さは、まるで目の前に見えるようだ。
さてバッハ。第1番は、「わたしのおはこ、たんと聴きなはれ」といわんばかりのかっこよさ。こんなかっこよいバッハは聴いたことがなかった。第1楽章、弾ける。独奏はしっとり、でも、とてもよくオケと絡み合う。第2楽章、静かに染み入る、深く息をする。第3楽章 これはいきなりのすごいアップテンポ。どんどん畳み掛けてくる。ぐいぐいと踏み込んでくる、僕の胸の中に。頭と体が揺れる。揺れ、弾むことを止められない。なんと爽やかなバッハなのだ。
第2番は、さくさくっと野菜を切り刻んでいくように始まる。第2楽章は冬のケーテンの街が目の前に広がる。こんなにさびしいのか。ゆるやかに、たおやかに冬空を弦が舞う。第3楽章、うってかわって、乗り乗りに挑戦が始まる。第1番とおなじような闊達さ。またも頭と体が揺れ始める。指使いと弓使いが絶妙。ああ、こんなバッハの世界があったのか。
ソフィア・グバイドゥーリナは、この曲をムターさんに捧げたそう。2007年にルツェルン音楽祭にて初演されたもの。解するのは容易でなく難しい。武満徹さんが、この作曲家のことを「オリヴィエ・メシアンの曲に出会った時以来の衝撃」と絶賛したそうで、もうすこし聴きこんでいこうと思う。
それにしても、300年以上も愛されたバッハと、現代作家のバイオリン協奏曲のカップリング、とても新鮮で挑戦的だと思う。おもしろいものに出くわした。
DGのE-Playerでこれに繋がる。http://www2.deutschegrammophon.com/eplayer/eplayer.htms?ID=mutter-bach
<J. S. バッハ>
ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 BWV1041
ヴァイオリン協奏曲 第2番 ホ長調 BWV1042
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
トロンハイム・ソロイスツ
(ハンブルグ フリードリッヒ・エバート・ホールでの録音、2007.2月)
<ソフィア・グバイドゥーリナ(1931- )>
ヴァイオリン協奏曲
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ロンドン交響楽団、指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ
(ロンドン AIRスタジオでの録音、2008/2月)
ドイツ・グラモフォン 00289 477 7450