フイルハーモニアオーケストラ、録音1955年10月5,6日、12月17日、@キングスウェイホール、ロンドン。
ナクソス8.111303
友人が
クレンペラーの第九の第二楽章はリスムの喜びに満ちた神々の踊りの音楽(『オットー・クレンペラーの「峻厳」』から)、と評していたことが気になっていた。
学生時代、音楽鑑賞クラブの別の同僚がこの指揮者に狂うようにのめりこんでいる姿に引いてしまい、遠ざけていたが、触れてみることにした。
やはりベートーヴェンからにしようと思った。
まずは「英雄」。ワルターのむせび泣きと柔らかさに浸りきっていた僕は、あまりの別世界にあっけにとられた。”別の世界”なのである。
クレンペラーは料理の鉄人である。聴いているほうは、りきむことはない。”壮大な劇”を鑑賞していることに気付く。
すべての旋律、楽器のパートは、かなでられる、というよりも、あの棚、この仕切りのうち、と整理整頓されていくよう。おそろしく精緻な哲学的というより構築性が説明されていく演奏。、だれからも全く違う、独自の孤高持っている。物語を心のなかで全て構築している。それを無言のうちに語り伝え、オーケストラに演じさせている。
”まるで別世界の英雄の劇”を、”観た”。
そんなこと、この年になって、ようやっと知ったのだった。なんという人なのだクレンペラーは。
-----------------------------------------------------
以下、所見を記す。こんな感じの演奏なのである。
■第一楽章
戦争が始まった。いろんな準備をしていこう。兵を送り出そうではないか。
その小隊はこちらへ、かの部隊はあちらへ。
ストンストンと大根をきりきざむよう。軍靴の音。
戦を重ね、音色はこの棚に、あの棚に。あちらで勝利、こちらは接戦。拮抗戦。はい、お隣に、はいお隣に。
勝ちあがったものはこちらに行き、敵を並ばせ、比べ、品定めし、見比べ聴き比べよう。よいしょ、よいしょ。
さあ、戦いも、最終の詰めだ。競り合い立ってきたら、我を忘れぬよう、こぼさぬごとく、気をつけそのままの加減で、勝ち進め。
■第二楽章
葬送は、それぞれのパートがきちんと均しく、送る言葉を述べる。折り目正しく淡々と。
涙は見せまい、気位高く、音色で、亡き勇士の魂を送り出そうではないか。
みなようがんばった、褒めたたえよう。背広はボタンしめ、袖も衿もバシッと背筋のばして魂を送り出そうではないか。
■第三楽章
さあさあ、戦さが終わった。ダンスの始まりだよ。劇中劇では、踊り狂いすぎてはいけない、シェイクスピアの時代から、踊りは、折り目正しく、足を運び、手に手をかるくあわせ。
歓喜の角笛はきちきちっと、粗相なく鳴らそうぞ。
太鼓はみなの舞を乱さぬように、だが、太く強くならすのだ。
■第四楽章
僕らの英雄は還ってきた、たくさんの勝利とともに。なんとすばらしき国、ぼくらは英雄とともにある。
彼はこんなこともやった、あんな闘い方もした、ときにはつかの間の息抜きもしたそうな。かと思えば、直ぐに戦いに戻り、刀と刀、砲弾にまみれた。
そういったことの繰返しだ。
苦しみ、悲しみ、別れもあった。それは過ぎ去りしきえゆく。
今や、彼の国、その国、ひれ伏した。戦いは終わり、平和が戻った。だから僕らは褒め称えよう、我らの英雄ここにあり。わが英雄の国、栄えあれ、永遠の平和と幸せここにあれ。
■レオノーレ序曲第三番
これも、今まで聴いたこともないレオノーレだった。しゃきしゃきとセロリを切り刻むような律儀さと爽快さ。
※以下はこの国内盤と思う。
(後記:‥‥と思っていたら、僕が購入したものは1955年のモノラル録音版で、以下は1959年のステレオ録音版だそうである。テンポはさらに遅いらしい。)