「ちょいと」の世界

確かに、小津映画独特の言葉だよなあと思った。僕の母親も杉村春子的な生粋の江戸っ子だけれど、「ちょいと」は使わなかった。「ちょっと」だった。でもどうして小津映画は「ちょいと」なのか。

そういう考察も含めて実に多彩なことが『小津の魔法つかい』(中村晃、明治書院)に書いてあった。

“だが、小津映画に登場する大人たちの多くが、ごくふつうの日常語である「ちょっと」という形をめったに用いず、いつも「ちょいと」という語形を愛用しているという事実のほうは、小津の世界を特色づけていると言えるだろう。
そして、「ちょいと」と聞くと観客がすぐ杉村春子や佐分利信や中村伸郎らを連想するように、それが彼らの演ずる作中人物の像の輪郭を描くという側面もある。その意味で象徴的なこのことばのちょいとくずれた感じは、東京というちょいと頽廃的で都会的なセンスの走る街に暮らす、ちょいとあかぬけた男女の、ちょいとくだけた、ちょいと甘えた感じの、ちょいと親しみをこめた、そんなちょいとばかし小粋な味を演出できると小津は考えていたように思われる。”(「三 口癖の詩学」より)

なあるほど。ちょいとこれは面白い。ちょいとここらで僕らは、この言葉を普及させないといけない。そうすれば、世知辛いこの世の中もちょいと粋な感じが出てくるし、ちょいと楽しいような、ちょいと軽くスキップでもしそうな、ちょいと誰とでも話せるような、そういう日々に変わっていくような気がする。

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小津の魔法つかい―ことばの粋とユーモア

中村 明 / 明治書院

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# by k_hankichi | 2016-12-09 07:34 | Trackback | Comments(4)

その詩人はあの人だった

平田俊子の詩集を読みながら、どこかで知っているような・・・と思っていた。そしてそれは、1年半ほど前に呼んだ詩集に、一篇だけ納められていたのだった。

「宝物」という詩は、いまでもとても好きだ。

出だしからして凄い。

“世界で一番美しい言葉はコンセルトヘボウです

四年前のアムステルダム
午後のトラムにゆられていると
大きな建て物が前方に見えた
あれは何? と尋ねると
コンセルトヘボウとあなたは答えた

コンセルトヘボウ
そのとき私には
それが何だかわからなかった
ただ こうつぶやいたときの
あなたの声がとてもきれいで
以来この言葉は私の宝物になった

誰かがこの言葉を口にするのを
それまでも
そのあとも聞いたことはない

あなたがこの言葉をつぶやいたのも
あのときだけだ
ただ一度だけ耳にした言葉
私だけが聞いた
あのときの
あなたの
柔らかな


ここにこうして書いてしまうと
宝物はたちまち輝きを失い
蝉の死骸以下のものになる
大切なものを捨て去るために
私は秘密を打ち明けた
この言葉もあなたのことも
忘れるために

(後略)”

続きはココ記載 →http://hankichi.exblog.jp/23838797/

僕はこの人の詩集を、もっと読んで行くだろう。そして、澄んだ水が沁み入るように身体が潤っていくだろう。
  
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# by k_hankichi | 2016-12-08 21:38 | | Trackback | Comments(0)

その詩人の世界

ブログ友人が紹介していた詩集『戯れ言の自由』(平田俊子、思潮社)を漸く買い求めた。今年の(第26回)紫式部文学賞を得た作品だそう。

新鮮な気持ちに包まれる作品ばかりで、言葉が人を綺麗にさせる、落ち着かせるということはこのことか、と思った。

「犬の年」は、“コギト・エルゴスム(我思う、ゆえに我あり)”で締め括られる、緊張から逃れるがための呪文集。あらあらどこまで出てくるの?と嬉しくなる。

「「イラッとする」にイラッとする」もほぼ同じ部類だが飽きがこない。

「「そうだ皇居いこう」」は括弧つきの題名で、新幹線や特急で行く旅の気分で宮城を楽しむ旅行記。他愛ない会話や周囲の出来事も言葉遊び歌になる。

「あと何回」には、しんみりした。内省。「あかん」や「貝殻」も命について語る。内省。

しかし圧巻は「伊藤」。友情の深き証しが詩に溢れる。溢れてこちら側にまで零れてくるけれど嫌味が少しもない。それはあまりに純朴なる気持ちだから。

年の瀬の詩集は、目が覚めるような素晴らしき世界。まだまだ世の中、捨てたものじゃあない。

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戯れ言の自由

平田俊子 / 思潮社

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# by k_hankichi | 2016-12-07 00:13 | | Trackback | Comments(2)

あんなに大々的に新聞の一面広告がされていたら、思わず買いたくなってしまう。そして買い求めていた。『i(アイ)』(西加奈子、ポプラ社)である。

渋谷の書店で求めた一冊は有難いことに著者のサインがされているものであり、その明るい少女的なイラストに、キラキラとした華やかな世界を想像しながら読み進めていくと、それとは真逆の世界にぐいぐいと引きずりこまれていく。サルトルの『嘔吐』や『蠅』を読んだときの心細い気持ちに似ていた。

自分の存在の意味を失いそうになったとき、アイは次のように語っていった。

「渦中の人しか苦しみを語ってはいけないなんてことはないと思う。もちろん、興味本位や冷やかしで彼らの気持ちを踏みにじるべきではない。絶対に。でも、渦中にいなくても、その人たちのことを思って苦しんでいいと思う。その苦しみが広がって、知らなかった誰かが想像する余地になるんだと思う。渦中の苦しみを。それがどういうことなのか、想像でしかないけれど、それに実際の力はないかもしれないけれど、想像するってことは心を、想いを寄せることだと思う。」

この世に生を授かり、日々を送っている僕たちが、なにを拠り所にして生きていくべきなのかを気づかせてくれた。

深い感慨に包まれ、気持ちを安らかさせ、それでいて意識を怜悧にさせる素晴らしい小説家だと思った。

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i(アイ)

西 加奈子 / ポプラ社

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# by k_hankichi | 2016-12-06 06:13 | | Trackback | Comments(0)

北茅ヶ崎での湯治

小春日和の感があった日曜日は、電車に揺られて足を伸ばし、北茅ヶ崎の日帰り温泉に。北茅ヶ崎の駅舎は昭和の30年代のようで風情がある。

温泉のほうは少し草臥れた内外装なのだけど意外に沢山の種類の湯殿があり楽しめる。

地下1500mから汲み上げているという湯は塩分泉で、そこに浸かって空を見上げているだけで癒された。

バッハの「フーガの技法」が聴こえてきた。

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# by k_hankichi | 2016-12-05 06:32 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)

映画を観てずっとこの曲のことが頭から離れなかった。カンタータ「神の時こそいと良き時」 "Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit"BWV106の前奏曲である。

どこまでも柔らかく優しく、天に昇るような境地に至っていく。神の声が心の中に降りてくる。

■昨日の東急百貨店本店裏の銀杏並木
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■Seymour Bernstein, Bach-Friskin, Prelude from the Cantata "Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit" →https://youtu.be/idREATkJrnc
■J. S. Bach: Cantata "Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit (Actus Tragicus)" BWV 106 [allofbach] →https://youtu.be/uAtp6zIS6i0

 
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# by k_hankichi | 2016-12-04 10:53 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)

ミニシアター(アップリンク渋谷)で映画『シーモアさんと、大人のための人生入門』を観た。今年のベストスリーに入る作品で、もっと早く観にくれば良かったと思った。機会があればすぐにでもまた観たい。 →http://www.uplink.co.jp/seymour/

ドキュメンタリーだった。89歳のピアニスト、シーモア・バーンスタインは50歳でコンサートピアニストを止め、それからはピアニスト育成に注力する。

ピアノ演奏家は何を考えるべきか。練習のポイントは。

名声と評判を追い求めるのではなく、音楽が何を訴え、僕たちのこころのなかに何を創造していくのか。

答えは音楽のなかにある。自分たちのなかにある。

あまりの素晴らしさに、途中から息を殺すようになり、翻って自分の、社会人としての生き方に対して深く沈降させていくものがあった。

演奏されてゆく曲の数々も素晴らしく、僕はいったい此れまで何を聴いてきたのだろうか、としんみりさせられるところもあった。

これは音楽に携わる者だけでなくあらゆる人たち、国には関わらず万人が観るのに値する作品だ。

明日から何かが変わるような気がした。

■Seymour: An Introduction Official Trailer 1 (2015) - Documentary HD →https://youtu.be/oCOM3wMqoHg

■日本語版 トレイラー →https://youtu.be/OzkSs_ySArM
 
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# by k_hankichi | 2016-12-03 17:45 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)

友人の(もとえ、友人に似ている)穂村弘さんの新しいエッセイを読了。『鳥肌が』(PHP研究所)。本の背表紙の絵からして、おっかない。鳥肌状に幾つかの凸のエンボス加工も付けられている。えつこミュウゼというイラストレータによるものらしい。おっかないけれども、なんとなくしっくりくるのはどうしてなのだろう。謎だ。

「ヤゴと電車」という章に載っていた短歌。

蜻蛉を喰いたいと蛙が云うのだ。おたまじゃくしの仇を討つと (中村みゆき)

穂村さんはそのシュールさに凄いと思ったが、調べてみると蜻蛉はオタマジャクシの脚を食うという習性があると分かったとある。シュールと現実の狭間にゆらめく歌だ。

「自分以外の全員が実は」という章の作品も凄い。

逃げ出したわたしをとらえるためだけに村の会議でつけられた網 (まるやま)

嫁として帰省をすれば待つてゐる西瓜に塩をふらぬ一族 (本多真弓)

自分だけが相手の集団とは異なる、ということを誰もが感じるその領域は、実はとても怖いのだということを伝えてくれる。食べ物については特にそうかもしれない。

いろいろなことが思い出されていく。それは実家でのことだったりする。

白いご飯には味の素を掛けて食べる。(子供のころだけだったけれど)

晩御飯がカレーライスの日の翌日の昼の弁当はカレーライス。(中高生時代、アルマイトの弁当箱にそれはぎっしりで、カレーの汁が外にヌラヌラと漏れだして閉口したが母親は気に介さない)

ハヤシライスの日の翌日の晩御飯はスパゲッティミートソース。(何故かルーが同じである)

どうしてか、懐かしくなった。

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# by k_hankichi | 2016-12-02 07:09 | | Trackback | Comments(2)

毎回驚かされる来訪者は、またもドイツのジンを携えてやって来た。そして気前よく僕にくれた。

こないだはジークフリート(http://hankichi.exblog.jp/25360428/)、というボンのジンだったけれど、今回は、さらに北のハンブルグで蒸留された、Gin Sulというもの。エチケットには海と船が描かれている。

スコッチウイスキーであれば、幾つもの海を制覇したその歴史の滴がありそうなのだけれど、ドイツのジンには似合わない。それでも海と船、ということは、なるほど若しかすると、ハンザ同盟の頃の時代に思いを馳せているのかもしれない。

そのジン、味わってみたら、相当に香草の強いもので、なるほど、バルト海に漕ぎ出でそこを乗り越え南の地に繋がった結果のものであることが、確実に分かった。

■Cláudia Madur besucht die Destillerie von GIN SUL in Hamburg →https://youtu.be/clj3isDiqFA

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# by k_hankichi | 2016-12-01 00:17 | | Trackback | Comments(2)

件の恩田陸さんの音楽小説が、どうしてあんなに素晴らしいのか不思議で、すこし調べていたら、足掛け10年以上の構想・執筆のうえ上梓したものだと分かった。そしてクラシック音楽を題材にした作品としても彼女として初めての類いらしい。それほどまでに大切にあたためられ育まれたものなのだ。

さらに調べていると、2005年の雑誌『考える人』の特集「とっておきの音楽」で、次のように寄稿していることを知った。

“何かの折りに何気なく聴き始めてやめられなくなる。録音状況の悪いものばかりなのだが、その水際立ったエレガントなタッチを聴いたあとで、最近の素晴らしい録音で素晴らしいテクニックと言われるピアニストの演奏を聴くと、誰もが皆『がさつ』に聴こえてしまうのだ”

恩田さんにとって、がさつ、という言葉をカギ括弧に封じてしまうほどの違いなのだ。

ディヌの音魂が僕の頭の奥に響く朝だった。

http://kangaeruhito.jp/articles/-/42
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# by k_hankichi | 2016-11-30 07:47 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(6)