カズオ・イシグロ入門書に触れてみて

カズオ・イシグロの小説はあらかた読んでしまった感があり、その一作一作の濃度の濃さに改めて感じ入る。そんななか、ブログ友人も読まれていた文芸雑誌『ユリイカ』平成29年11月号の特集や、「その深淵を暴く」という週刊誌的サブタイトル入りの『カズオ・イシグロ読本』(宝島社)も読んだ。

前者のほうがしっかりとした文芸評論、解析になっているけれど、意外に後者の内容も読みやすかった。過去にカズオ・イシグロが自ら語ったことや、さまざまな評論家が語った事柄をつなぎ合わせただけなのだけど、なるほどと思うことが多くある。

カズオ・イシグロのインタビューから。

「人生とは、人が考えているよりもいかに儚くて短いものか。だからこそ、愛を求めるし、過去を振り返ることによって自分の人生の重要な時間を見つけ出そうとする」(「すばる」1011年5月号)

人生、愛情、過去がイシグロワールドなのだという。

『日の名残り』について、橋冨政彦さんは以下のように書く。

「過去を振り返る時、過ちを認めずに自分自身を肯定しようとする誘惑から逃れることは難しい。人は無意識のうちに本心を偽り、あいまいさや不正確さを利用して話をすり替えわ新しく記憶をつくり変えていく。感情を表現することを恐れ、自分の信じた価値観にしがみつき、記憶を改鼠(そ)してまで尊厳を保とうとするスティーブンスは私たち多くの人々の写し絵なのだ。(中略)だからこそ、読者は現実に容赦なく欺瞞を打ち倒された老執事の姿にシンパシーを覚え、胸を衝かれるのである。」(「信頼できない語り手①」より)

作品を再読することで、また新たな気づきがありそうだ。

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# by k_hankichi | 2018-01-19 06:21 | | Trackback | Comments(3)

一人百様の人生のありよう・・・『森へ行きましょう』

川上弘美の小説『森へ行きましょう』(日本経済新聞出版社)を読了。同社の夕刊に連載されたものだそう。一人百様の人生があることをしみじみと知る。

語り手は孤空高くから我々のそれぞれの人生を眺め、それを淡々と伝える。

“ルツは知らない。ルツがそうであったかもしれないもう一人の自分が、こことは異なる世界のどこかにいるかもしれない、ということを。違う世界のルツは、今のルツとはまったく違うルツかもしれない。同じ年齢、同じ性別で、同じ両親のもとに生まれ育っていたとしても、ささいな違いの積み重なりが、今のルツと、違う世界の誰かとを、すでに大きくへだてているかもしれないのだ。あるいは反対に、ささいな違いの積み重なりが、外見上は今のルツとその違う世界の誰かをへだてているように見えるかもしれないけれど、最終的には同じところへと両者の運命は収斂されてゆくのだろうか。”(「1988年」から)

この作品を読み終えると、僕らは必ず、自分の人生のいくつかの岐路、その時その時に選んだこと、そしてそこに託した気持ちを思い出す。その記憶はもしかすると意図的に固定化されたものかもしれないし、もしかするとその最早見えない底流のなかには違った思いが隠されているかもしれない。

それぞれの人のそれぞれの内容がどのようなものであったとしても構わない。「違った自分が隠されているかもしれない」ということに気づくことが、この作品の意図なのだと思った。

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# by k_hankichi | 2018-01-18 05:49 | | Trackback | Comments(2)

殺し文句のシベリウスのペレアス

少し前、東京の路地裏にあるレストランで、マスターがクラシック音楽通だとわかって、そしてまたそこで流れる音楽の玄人はだしぶりに感銘したことがあった。料理も旨くて、こちらから問い掛ければ次のような実に素っ気ない返事があるだけの店だったけれど、妙に印象に残っている。

「このシャンパン旨いですね」
「旨いです」

「このウニパスタ旨いですね」
「旨いです」

「このシェリー酒はなんだかとっても旨いですね」
「特別です」

それ以外は何も語らない。殺し文句、だと思った。

ああだこうだと長ったらしい酒談義に誘い込まれたり、さらにはこちらの氏素性までをも明かせと迫られるようなバーやマスターとは大分違うのだ(そういう店には金輪際足を運びたくなくなる)。

そんなことを思い出したのが、年始に友人からあった連絡のなかの一言だった。

「シベリウスのペレアスが大層美しいのです」

なんのことか分からないままに、その音盤を買い求めた。「ペレアスとメリザンド」に関わる曲集を、セルジュ・ボド指揮でチェコフィルハーモニーが演奏したもの。

冒頭のドビュッシーの楽曲は、リヨン管弦楽団とはぐっと異なるゆっくりしたテンポで、くぐもった銀食器のような音色。むむむっと沈降していた矢先に出来事が起きた。

ヤン・シベリウスに組曲『ペレアスとメリザンド』作品46というような曲があることもしらないまま、その第一曲「城の門にて」が始まって、僕の吐息は水を打ったように鎮まり返った。そして、自分自身が純粋という世界に立ち返った気持ちに溢れた。身を正し、邪念を打ち払い、しっかりと背筋を伸ばそう、しっかりと生きて行こう、と思った。息が研ぎ澄まされ、美しくなった。

あの友人の言葉は実に素っ気なく、ネバチっこさは無く、だからこそ、厭世観でいっぱいだった自分に対して、なにかがあるのかもしれないと気付かせてくれたのかもしれない。

あまりにも美しいこの曲の旋律と演奏をいまも聴きながら、ただただ、自分の精神は浄化されていく。殺し文句とは、余計な修辞や世辞、ネバチっこさとは無縁のものを言うのだと分かった。

■《ペレアスとメリザンド》のため音楽
1.ドビュッシー、マリウス・コンスタン編:『ペレアスとメリザンド』交響曲
2.シベリウス:組曲『ペレアスとメリザンド』作品46
3.シェーンベルク:交響詩『ペレアスとメリザンド』作品5
4.フォーレ:組曲『ペレアスとメリザンド』作品80
■演奏
セルジュ・ボド指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
■収録
1989.4.11-15、ルドルフィヌム(芸術家の家)、プラハ
■音盤
コロンビア COCO70893-4 (二枚組で税抜き1500円という破格)

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# by k_hankichi | 2018-01-17 06:43 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)

チェロの音魂に男の述懐を知る

年末に立ち寄った馴染みの中古レコード店でお目当てのものがなく、仕方なく棚を見上げながら所在無げにCDを出し入れしていた。すると「いいんですよ、無理してお買いにならなくて」とお店のかたから声を掛けられてしまった。見破られた恥ずかしさから、返事を誤魔化しながら、じゃあこれと買い求めたのはブラームスのチェロソナタ集だった。

「集」といっても一番二番の組み合わせではなく、第一番ホ短調作品38のほかには、ヴァイオリンソナタ第一番ニ長調作品78「雨の歌」とクラリネットソナタへ短調作品120-1をチェロ版にしたものがカップリングされている。

ピーター・ウィスペルウェイは少し高めのピッチで実に爽快に弾いていく。伴奏のデヤン・ラツィックも快活だ。チェロは最も人間の声域に近いと言われるけれど、「雨の歌」はまさに、降り積む雨を前にして、ああだこうだと呟きながら一筋の糸口を探り当てて明日への活力を取り戻していく男の述懐になっている。

棚からぼた餅ならぬ、棚から良音だった。

■収録: 2006.4月、Muziekcentrum Frits Phillips, Einthoven, The Netherlands
■音盤: Channel Classics CCS SA 24707

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# by k_hankichi | 2018-01-16 06:43 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(3)

久しぶりに一気読みした小説『愛に乱暴』

久しぶりに小説を一気読みした。映画のような勢いのストーリー。各シーンの描写が映像として生々しく目に浮かんでしまい、怖いくらいだ。『愛に乱暴』(吉田修一、新潮文庫)。

夫に愛人が出来、少しづつ離れていく事態に陥る。それを容認できない妻の葛藤劇に、愛人側の葛藤が交互に挟み込まれる。彼女たちから男や周囲への発信は一方通行的で、だからそれは次の齟齬を引き起こしていく。

しかし次第に読者は気付く。一方通行なのは、どの人も同じなのだということを。主人公たちの現在は僕らの明日なのかもしれないということを。

ストーリー展開のなかで、妻はふと成瀬巳喜男の映画『流れる』を観る。話の筋とはあまり関係ない。しかし、この物哀しさと相通じるところがあるような気がする。まだ観ていない作品だけれど無性に観たくなった。

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# by k_hankichi | 2018-01-15 07:49 | | Trackback | Comments(3)


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